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東京地方裁判所 平成10年(ワ)5615号 判決

原告 A

原告 B

原告 C

右法定代理人親権者父 B

右法定代理人親権者母 A

右三名訴訟代理人弁護士 舩木秀信 同右 宮岡孝之

被告 小野倫一

右訴訟代理人弁護士 高田利廣

同右 小海正勝

右訴訟復代理人弁護士 加藤雅明

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実及び理由

第一申立て

一  請求の趣旨

1  被告は、原告Aに対し、金三二〇〇万円、原告Bに対し、金五三〇万円、原告Cに対し、金一一〇万円及びこれらに対する平成六年九月二〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二事案の概要

本件は、被告が経営する産婦人科医院で、死亡胎児娩出の処置を受けた原告A(以下「原告A」という。)が、娩出の後、弛緩出血から播種性血管内凝固症候群(disseminated intravascular coagulation)(以下「DIC」という。)を発症するに至り、その治療のため子宮摘出を余儀なくされたのは被告の債務不履行及び不法行為によるとして、原告Aとその家族が、被告に対し、慰謝料等の損害賠償を求めている事案である。

一  争いのない事実等

1  被告は、前住所(東京都世田谷区玉川田園調布二丁目一五番一一号)において、小野産婦人科(以下「被告医院」という。)の名称で医院を経営していた医師である。

原告B(以下「原告B」という。)は、原告Aの夫であり、原告C(以下「原告C」という。)は、原告Aの子である。

2  原告A(昭和三三年五月一一日生)は、第二子を受胎後、平成六年二月一日(以下、日付の表示で年号を省略した場合は、その年号は平成六年である。)、被告との間で、第二子の出産につき、診療契約を締結し、被告医院で出産する予定(出産予定日九月三〇日)で通院を続け、被告の指示どおりの日程で妊婦定期健診を受けていた。

被告医院の妊婦定期健診では、毎回、尿検査・体重測定・血圧測定・腹囲測定が行われ、また超音波にて胎児心拍の確認が行われていた(乙一四、原告A本人、被告本人)。

原告Aは、九月一三日、被告医院で妊婦定期健診を受けた。

3  九月二〇日午前一〇時ころ、被告医院において原告A(妊娠三八週四日)が妊婦定期健診を受けた際、超音波断層法で胎児の心音が確認できなかったため、被告は、原告Aに対し、胎児が死亡していることを告げた。そして、原告Aは、死亡胎児を娩出するため直ちに入院し、被告医院二階の病室に収用された。

原告Aは、実家の母であるD(以下「D」という。)に連絡をし、午前一〇時三〇分ころ、被告医院に駆け付けたDの立会いの下で、被告は、ドップラー法により再度胎児の心音の確認を試みたが、心音を聴取できなかった。

4  被告は、原告A及びDに対し、死亡胎児を胎内に長く置いておくことは母体に危険であるから、陣痛促進剤と頚管拡大器具を用いて経膣分娩で体外に出すことを説明したところ、経膣分娩に不安を感じた原告A及びDは、帝王切開による分娩はできないかと述べて帝王切開の方法を用いるよう要請した。これに対し、被告は、両名に帝王切開の必要はない旨告げた。

また、その際、被告は、原告A及びDに対し、まれに血液がさらさらになって止まらなくなることがあり、昔の患者で命を落とした人がいるが、今回はその心配はない旨告げた。(甲四、六、原告A本人、被告本人)

5  午前一〇時四〇分ころ、被告は、原告Aに対し、陣痛誘発剤であるプロスタグランディンE2二錠を子宮内投与し、子宮拡張のためラミセル(頚管開大器具)を挿入した後、陣痛誘発剤であるアトニンO等を点滴投与した。

午後零時四五分ころ、破水が認められ、午後一時ころ、被告は、原告Aに対し、陣痛促進剤を追加投与した。(乙二、一四)

6  陣痛を待つ間に、原告A及びDは、再度帝王切開による分娩ができないか被告に尋ねたところ、被告は、帝王切開が経膣分娩に比べて母体への危険が大きいこと、帝王切開は胎児が下から生まれるのが不可能な場合やすぐに娩出させないと母体が危険な場合に行うもので、本件の胎児死亡は帝王切開をすべき場合に該当しないことを告げて、経膣分娩の処置を続けた(甲四、六、原告A本人、被告本人)。

7  午後二時三〇分ころ、原告Aは、陣痛を覚え、被告医院二階の分娩室に入った。

午後三時〇〇分ころ、子宮口三指半開大が認められ、子宮口を開大させる薬剤としてブスコパン一ミリリットルが原告Aに対して静脈内投与された(乙二、一四)。

午後三時三一分ころ、原告Aは、分娩したが、死産であった。死産児は、女であった。

8  午後三時三三分ころ、後産娩出後、原告Aに子宮収縮不良による出血(弛緩出血)が生じた。

同じころ、被告は、出血が凝固していたことから、原告AがDICを発症していないと判断した上で、弛緩出血に対して処置を続けた(乙一四、被告本人)。

9  被告は、原告Aに対し、子宮内胎盤、卵膜の遺残がないことを手を用いて確認し、頚管及び膣裂傷を認めたためこれらを縫合し、メテルギン、プロスタグランディン等の子宮収縮剤を投与し、アイスノンによる子宮冷却、双手圧迫法による止血等を試みたが、子宮収縮を認めることはできなかった(乙二、一四、被告本人)。

10  午後五時ころ、被告は、原告Aの出血が凝固せず、さらさらという感じになったのを認め、原告AがDICを発症していると判断し、酸素吸入を開始、DICに対する治療としてFOY三筒を投与し、ショックに対し、ハイドロコートン五〇〇ミリグラムを管注した(乙二、一四、被告本人)。

同じころ、被告は、自らの手による治療を断念して他院への転送を決意して救急車を呼んだ。

被告は、救急車の到着を待つ間も二本の点滴により代用血清であるヘマセル一〇〇〇ミリリットルを投与し、双手圧迫法を持続的に施行した(乙二、一四、被告本人)。

11  なお、当時被告医院には、DIC診断に必要なプロトロビン数やFDP(繊維素原溶解物質)検査のための器具設備はなく、また輸血の用意や抗DIC治療薬としてのヘパリンは備えられていなかった。また、当日被告医院で治療に当たったのは、被告、助産婦及び看護助手であった。(被告本人)

12  午後五時二〇分ころ、被告医院に救急車が到着したが(乙二、一四)、車輸付き担架が被告医院の階段を通過できなかったため、原告Aを、救急隊員が腕で抱えて被告医院の二階から救急車へと移動させた(甲六)。 13 救急車が厚生中央病院に到着後、原告Aは、直ちに手術室に搬入され、同病院の橋村尚彦医師により、全身麻酔の下、子宮全摘出手術及び左付属器切除手術が施された結果、死亡の危機を免れた。原告Aは、子宮内胎児死亡を原因とする分娩後出血性ショック、合併症としてDICを併発したものと診断された。

原告Aは、一〇月一五日まで、右病院に入院し、治療を受けた。

二  争点

1  被告の債務不履行及び不法行為の存在

被告が、以下の(一)ないし(五)記載の注意義務に違反する債務不履行及び不法行為により、原告Aの胎内で胎児死亡の結果を生ぜしめ、さらに死亡胎児娩出の後、原告Aに出血性ショック及びDICを発症させ、その結果、原告Aをして子宮摘出手術を受けることを余儀なくさせたかどうか。

(一) 胎児死亡の予見とその結果回避義務

(原告らの主張)

被告は、出産予定日の接近に伴い胎児の心拍数等の異常に留意し、遅くとも九月一三日の妊婦定期健診において、胎児に生じた危険徴候を発見し、又は原告Aに対し、同日以降胎動に細心の注意を払うよう指導することによって胎児死亡の徴候を早期に発見し、次回妊婦定期健診の同月二〇日を待たずに直ちに帝王切開等により胎児の娩出を図り、もって、胎児死亡の結果を回避し、又は死亡の結果を回避できないまでも、死亡胎児を体内に残置させない早期の処置をすべきであったにもかかわらず、これを怠った。

(被告の主張)

通常の妊婦定期健診により将来の子宮内胎児死亡を予見することは困難であり、また、妊婦がその胎児の将来の死亡を予知することは不可能である。本件では、九月一三日にも通常の妊婦定期健診に加え、超音波断層法による胎児心拍の確認等をしているが、胎児に重大な異常は特に認められず、この時点で胎児死亡を予見することは不可能であった。

また、被告は、原告Aに対し、胎児心拍が確認できた時点(二月一五日)、胎動を本人が感じた直後の妊婦定期健診時(五月二七日)及び妊娠一〇か月に入った時期に、胎児心拍・胎動により胎児が生きていることは分かるが、元気であるかどうかまでは分からない旨を話している。

(二) 心音停止後帝王切開の処置をとるべき義務

(原告らの主張)

被告は、死亡胎児の娩出について、陣痛促進剤の投与による経膣分娩ではなく、直ちに帝王切開の方法を選択することで、弛緩出血を回避し、又は分娩介助に当たり出血部位の発見等、出血に対する事前若しくは出血時における適切な措置を講ずべきであったにもかかわらず、これを怠った。

(被告の主張)

帝王切開手術は、経膣分娩に比較して致命的合併症である血栓形成の頻度が一〇倍以上であるなど母体への危険性が高いので、死亡胎児の娩出において産科医のとるべき方法は、原則的には経膣分娩である。母胎の生命に重大な危険を及ぼす子宮破裂や胎盤早期剥離などによる胎児死亡でない限り、一刻を争って緊急排出をしなければならないということはない。また、本件では、帝王切開をしても同じ結果になったと思われる。

(三) DICの発症を予見し、分娩に当たって十分な準備をすべき義務 (原告らの主張)

死亡胎児の娩出に当たっては、出血の予測とりわけDICを合併し重篤な出血が伴うことが予測されるので、被告は、本件分娩に当たって、原告AのDIC発症を予見し、同女の血液凝固学的検査を行い、DICが発症した場合の治療に備えるため十分な人的物的態勢(例えば出血に対する処置薬及び処置器具の準備、自院の看護婦の配置を行い、又は自院の人的物的態勢で不十分なときは他院に医師の応援、看護婦の派遣、処置器具類の借受け等の依頼をし、さらには設備の十分な他の相当な医療施設への転院措置をする等)を整えておくべきであったにもかかわらず、被告は、そのような態勢を整えず、血沈検査を行ったのみであり、その他のDICに対する十分な検査を怠った。また、原告Aの血沈値が一時間に一一ミリメートルであるとの検査結果から、被告は、DIC発症の可能性が高いことを予測し、この治療に備えるため十分な準備を行うべきであったにもかかわらず、これを怠った。 (被告の主張)

分娩に出血を伴うことは十分予測できるが、その出血がDICを伴う重篤な出血の発来になることを事前に予測することはできない。産科的DICは、非凝固性出血が出現したときに初めて診断できるものであり、予知は困難である。例えば、被告医院で通院中の妊娠一〇か月の妊婦の血沈値の測定結果は、二〇例中五例が血沈が一時間値一五ミリメートル以下であったが、全例が正常分娩であり、分娩時の出血も特に多量ではなく、DICに陥った症例はない。

なお、本件で、カルテ(乙一)の記載は一時間値となっているが、産科の臨床医として、血沈値は一五分で判定していた。

(四) 分娩後の処置についての義務

(原告らの主張)

(1) DICは消費性凝固障害の状態であり、輸血を行って凝固因子を補充する必要があるところ、被告の処置は出血に対する対処的な療法に終始しており、輸血等の適切な処置を怠った。そして、輸血設備がない被告医院では、原告Aの出血に対し、直ちに他の相当な医療施設への転院措置をとるべきであったにもかかわらず、被告は、これを怠った。被告が厚生中央病院への転院を決断したのは分娩後二時間が経過した時点であり、転送を受けた厚生中央病院ではもはや原告Aの子宮を摘出する以外の方法で出血に対する処置をとることができなかったものである。

(2) 弛緩出血による大出血の場合、子宮腔内に多量のガーゼを充填して強圧ガーゼタンポナーゼで一時的な圧迫止血法を実施して出血量を可及的に少なくすることが必要であったにもかかわらず、被告は、これを怠った。 (3) 被告は、DICの発症に対する判断を怠り、原告Aに対し、血栓をかえって安定化させてしまうためにDICに対しては使用が不適切であるとされるヘムロンを投与するという誤った処置をした。

(被告の主張)

(1) 原告Aは、午後三時三一分に分娩、午後五時二〇分に搬出というように、分娩後一時間四九分で被告医院を出ているが、分娩後、被告が、裂創、子宮弛緩症に対する処置をとり、その後にDICが発症した場合に、搬出までにかかった約二時間はやむを得ない所要時間である。

(2) DIC及び弛緩出血に対し、強圧ガーゼタンポナーゼという方法は有効でないことが多いので、被告は、弛緩出血に対して保存的な方法としては双手圧迫法が最善と考え、救急車内でもこれを施行していた。

(3) 原告Aは子宮収縮不良のために出血が持続していた。被告がヘムロンを投与したのは子宮収縮に対する処置中であって、DIC発症後ではない。

(五) 説明義務、情報提供義務

(原告らの主張)

(1) 被告は、妊娠後期を迎えた原告Aに対し、胎児死亡の蓋然性、その予防方法、確認方法、死亡した場合の対処方法等について、適切な説明を行って注意を促すべきであったにもかかわらず、これを怠った。

(2) 被告は、原告Aに対し、死亡胎児の娩出に当たり、DICという重篤な結果が生じ、母体生命の危険又は子宮摘出の結果が生じる可能性があること、仮にDICが発症したならば、被告医院においては輸血装置の不備などの理由で適切な対応が困難であることを事前に説明し、患者である原告Aに、このまま被告医院で処置を受けるか、それとも人的物的設備の整ったいわゆる大病院に転院して処置を受けるかを決定する機会を与えるべき説明義務があったにもかかわらず、これを怠った。

(被告の主張)

(1) 被告は、原告Aに対し、胎動の自覚の消失は胎児の死を意味し、その場合には直ちに連絡するようにと妊娠中に何度か話している。

(2) 妊娠中何ら異常を認めず合併症も既往症もない妊婦でも、弛緩出血からDICを発症し子宮摘出を余儀なくされることもあり、胎児死亡後一日目の死亡胎児娩出によりDICの発症頻度が有意に高くなるとの報告はない。したがって、本件では、娩出におけるリスクは普通の分娩と同じと考えられるので、特にDIC及び分娩後の子宮摘出について説明をすべき義務はない。

また本件では、被告は、原告Aに対し、妊娠分娩は胎児のみならず母体の生命にもかかわる異常が発生し得る状態であること、子宮内に長く死亡胎児が存在した場合にDICの発症の可能性が増加するのでなるべく早く分娩を終了したい旨を説明している。

また仮に、原告Aが入院時に説明を受けて治療開始前に転院しても、同じ結果になっていたと考えられる。

2  損害

(原告らの主張)

原告らは、以下のとおり損害を被った。

(一) 原告Aの損害

(1) 治療費 金五三万六八〇四円

(2) 入院雑費 金二〇万円

(3) 入通院慰謝料 金九〇万円 (厚生中央病院における、平成六年九月二〇日から同年一〇月一五日まで計二六日間の入院及び平成六年一〇月一六日から同年一二月二七日まで計七三日間の通院)

(4) 慰謝料 金五〇〇〇万円

(5) 弁護士費用 金二〇〇万円 よって、原告Aは、被告に対し、債務不履行又は不法行為により、右損害(1)ないし(4)の合計額のうちの金三〇〇〇万円と同(5)との合計額である金三二〇〇万円及びこれに対する平成六年九月二〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(二) 原告Bの損害

(1) 慰謝料 金三〇〇〇万円

(2) 交通費 金一五万九〇四〇円

(原告Aの入院・手術に対応するため原告Bの当時の勤務地である札幌から航空機で上京を繰り返した際の交通費)

(3) 弁護士費用 金三〇万円

よって、原告Bは、被告に対し、債務不履行又は不法行為により、右損害(1)及び(2)の合計額のうちの金五〇〇万円と同(3)との合計額である金五三〇万円及びこれに対する平成六年九月二〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(三) 原告Cの損害

(1) 慰謝料 金二〇〇〇万円

(2) 弁護士費用 金一〇万円

よって、原告Cは、被告に対し、債務不履行又は不法行為により、右損害(1)のうちの金一〇〇万円と同(2)との合計額である金一一〇万円及びこれに対する平成六年九月二〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

第四争点に対する判断

一  争点1(一)(胎児死亡の予見とその結果回避義務)について

1  証拠(甲四、乙一四、原告A本人、被告本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 被告は、胎動の意味について、胎児心拍が初めて確認された時期、母体が初めて胎動を自覚した時期及び妊娠一〇か月の時期の妊婦定期健診時に、胎動によって胎児が生きていることは分かるが元気かどうかまでは分からない旨、原告Aに説明をしていた。

(二) 原告Aは、妊娠経過中、初期に切迫流産、妊娠悪阻のため、妊娠八か月に妊婦貧血のため、外来患者として被告医院において治療を受けたが、その他には妊娠経過に重大な異常はなかった。

(三) 九月一三日の妊婦定期健診において、母体・胎児に異常は認められなかった。

(四) 九月一九日、原告Aは、胎動の変化(胎動が弱くなった。)を感じたが、その前の妊婦定期健診時に、出産間近になると胎動が弱まることもあるとの説明を被告から受けていたため、その日は来院せず、翌日の妊婦定期健診時に、被告に対して胎動の変化を訴えた。

2  以上の事実を前提にすると、以下のように考えられる。

(一) 妊娠後期における子宮内胎児死亡の原因は、母体側の原因(例えば妊娠中毒症、過期妊娠、血液型不適合等)と胎児側の原因(例えば胎児付属物と呼ばれる胎盤、臍帯、卵膜の異常など)に分けられるところ、本件胎児死亡の原因は不明であること(鑑定の結果)、何ら合併症のない正常例で胎児死亡を予知し回避することは困難であること(乙八)、前記1(二)ないし(四)のとおり、九月一三日の妊婦定期健診時までには、母体側及び胎児側に一週間後の胎児死亡の原因となり得るような徴候は存在していないことからすると、被告が、九月一三日の妊婦定期健診において、一週間後の胎児の死亡を予見することができたとは言えない。

(二) また、被告は、胎動が胎児が生きていること以上の意味を持たないことについて原告Aに説明していること、九月一三日の妊婦定期健診では特に異常はなかったこと、原告Aは、九月一九日に胎動の変化を感じているが、妊娠末期になって胎動が比較的減弱したと訴える妊婦も少なくないこと(鑑定の結果)、胎動に変化を感じたときに健診を受けるか否かは主として妊婦が判断すべきものであることからすると、被告が出産間近に胎動が弱まることもあると説明し、仮にその説明のために原告Aが胎動に変化を感じた時点で直ちに来院せず、胎児死亡を回避する機会を逸したとしても、それは被告の原告Aに対する胎動の変化への注意の促し方が不足していたことによるものとは言えない。

3  したがって、本件胎児の死亡の予見及びその結果の回避に関して、被告に注意義務違反があるとすることはできない。

二  争点1(二)(心音停止後帝王切開の処置をとるべき義務)について 1 証拠(乙四、七、九、鑑定の結果)によれば、帝王切開は、経膣分娩が困難な症例(児頭骨盤不均衡、狭骨盤等)、急速遂娩を必要とする症例(子宮切迫破裂、常位胎盤早期剥離、胎児仮死等)、経膣分娩が母児に危険と考えられる症例(重症妊娠中毒症、前置胎盤、既往帝切等)及びその他の症例(長期不妊後の妊娠、異常産科歴の既往等)に対して行われ、大出血を伴う前置胎盤、切迫子宮破裂、常位胎盤早期剥離などの場合に胎児の生死と無関係に行われる以外は、胎児が現在生存し、また将来母体外生活が可能であると推定される場合に行われる術式であると認められるところ、前記第二、一3の事実及び証拠(鑑定の結果)によれば、本件娩出は、被告が超音波断層法及びドップラー法により胎児心拍の消失すなわち胎児の死亡を確認した後の娩出であり、かつ、子宮破裂等母体救出のために胎児の生死と無関係に帝王切開をすべき事情はなかったものと認められるので、本件においては、死亡胎児の娩出に当たって、帝王切開を選択すべきであったとは言えない。 したがって、経膣分娩によった被告の行為に注意義務違反があるとすることはできない。

2 なお、本件では、原告A及びDが帝王切開の希望を再三表明しているが、証拠(乙四、八、九、鑑定の結果)によれば、帝王切開には、麻酔による事故、切開による出血、感染症といった諸種の危険が伴い、分娩方法の内では極力避けるべき、最終的な手段として選択すべきものと認められるから、客観的に帝王切開によるべき事情が認められない本件において、原告A及びDに対して、前記第二、一6の事実のように帝王切開によるべき場合でないことを告げて経膣分娩を選択した被告の行為が不相当であったとすることはできない。

三  争点1(三)(DIC発症を予見し、分娩に当たって十分な準備をすべき義務)について

1  証拠(乙一)によれば、午前一〇時四〇分ころ、被告が原告Aから血液を採取し、血沈を測定した結果は、一時間値一一ミリメートルであったと認められ、また、証拠(甲八、乙八、一一、一六、鑑定の結果)によれば、以下の事実が認められる。

(一) DICとは、基礎疾患の存在下に血液凝固性が異常亢進し、主として微小循環系において多発性微小血栓が生じ、その結果、血管内で血小板・凝固因子が消費されて低下し、同時に血管内血栓を溶解・排除するための反応として線溶現象が亢進することから、生体全体としては出血傾向増大の方向へと向かう病態をいう。また、産科領域におけるDICは、急性で定型的なものが多い一方、致死的となることも多いこと、また逆に早期の適切な治療により救命率が高いことに特徴がある。

(二) 産科DICは急性な経過をたどるものが多いために、その診断には時間のかかる検査を行うわけにはいかず、診断に用いられる産科DICスコアは、検査項目に重点を置かず基礎疾患や臨床症状から現在の状態を把握し、的確な診断を迅速に行うように考案されたものである点に特徴がある。 (三) 産科DICスコアにおいては、一般的に血沈が一時間値で一五ミリメートル以下(一五分値で四ミリメートル以下)の場合は、検査項目としてスコア一点が加算されている。産科DICスコアで、基礎疾患、臨床症状、検査項目などの各点の総和によって決まる数字が八点以上の場合にはDICとして治療を開始するとされている。

(四) 死亡胎児が長期にわたり子宮内に残存すると組織トロンボプラスチンが母体血中に流入しDICの原因となる。一般に、胎児死亡後五週間以上経過した場合で約二五パーセントがDICとなる。

2  右の点を前提とすると、以下のように言うべきである。

(一) 本件で、死亡胎児が胎内に残存していたのは、胎動消失が原告Aにおいて九月一九日に就寝した時以降であることからすると(原告A本人)、二四時間以内であり、前記1(四)の事実からすると、胎児死亡の事実から直ちにDIC発症を予見すべきであったとは言えない。

また、証拠(鑑定の結果)によれば、DICは分娩様式との関連で発症するものではなく、帝王切開と経膣分娩とでDICの発症確率の比較はできないことが認められるから、本件で死亡胎児の娩出に当たり経膣分娩の方法をとったことから直ちにDIC発症を予見すべきであったとも言えない。

さらに、前記1(二)、(三)において判示したところによると、産科DICの診断は検査項目のみでなく、基礎疾患や臨床症状から現在の状態を把握した上での総合的判断によってされるべきものであり、血沈値のみではDICの発症を確定的に判断できないと言うべきである。したがって、本件においては、血沈が一時間値一一ミリメートルであったことのみをもって、DICの発症を予見すべきであったとまで言えない(なお、被告医院のような個人病院において通常の分娩(胎児死亡の場合を含む。)に備えて大病院と同様のDIC発症の検査態勢を整えておくべき注意義務があるとまで言えない。)。

(二) 以上のように、本件でDICの発症を予見すべき事情として原告らが主張する、死亡胎児の経膣分娩とその後の出血の可能性、一時間値一一ミリメートルの血沈等は、いずれも極めて抽象的にDICの発症の可能性を示すものにすぎず、本件においては、DICの発症の可能性を具体的に示す事情があったものと認めることはできない。

したがって、被告には、本件分娩に際し、DICの発症を予見すべき注意義務の違反はないというべきである。 なお、原告らは、被告医院においてもDIC発症の検査及び発症した場合の治療に備えて十分な人的物的態勢を整えておくべきであった旨主張するが、被告自身、勤務医であった約一三年間にDICの発症を二例経験したことはあるが、被告医院において個人開業した昭和六〇年以降はDIC発症の経験がなかった状態であり(乙一四、被告本人)、被告医院のような個人病院における通常の分娩(胎児死亡の場合を含む。)においてはDIC発症の確率が非常に低いことが認められるから(鑑定の結果、弁論の全趣旨)、DICが発生した場合には、応急的措置をとった上で、速やかに、治療態勢の整っている大病院に転院させる態勢を整えておけば足りるというべきであり、本件においては、この点に関し、被告に注意義務の違反があったとすることはできない。

四  争点1(四)(分娩後の処置についての義務)について

1  争点1(四)(1)について

(一) 証拠(乙一一、鑑定の結果)によれば、産科DICの治療は輸血が基本であり、輸血に必要な血液を常時保存確保することが困難な被告医院規模の医院においては、DICの発症を判断した場合は直ちに転院処置をとるのが唯一の有効な手段であると認められる。

(二) 本件では、前記第二、一8ないし13のとおり、被告は、原告Aの弛緩出血に際して、午後三時三三分ころ、出血が凝固するのを観察していること、右観察からDICは発症していないものと判断し、以後弛緩出血に対して前記第二、一9のような処置を行っていること、午後五時ころ、それまで凝固していた血液が凝固しないのを観察してDICの発症を判断していること、右判断後直ちに厚生中央病院への転院措置をとっていること、午後五時二〇分ころには、原告Aは被告医院から搬出されたこと、証拠(乙二、被告本人)によれば転院時までの出血総量は一八〇〇ミリリットルであり、証拠(鑑定の結果)によれば、右の程度の出血量では直ちにDICが発症したとの判断には至らないと認められること、証拠(甲四、六、乙一四、鑑定の結果)によれば、転院時までの原告Aの様子及び転院後の手術経過に鑑み、転院時において原告Aは産科ショックに陥る前のプレショック状態であったものと認められることを総合すると、被告が、午後五時ころに出血が凝固しないのを観察した時点でDICが発症したものと判断し、その時点で転院措置をとったことに判断の遅れがあったとまで評価することはできない。

また、弛緩出血から急性DICを発症した場合、母体を救命するために対症的に子宮全摘出術を行うことも稀ではないこと(鑑定の結果)を考えると、原告Aが厚生中央病院に搬送されたときに既に子宮摘出によるしか治療方法がなかったことが、被告医院からの転送が遅れたことによるものとまで評価することはできない。

(三) したがって、本件の転院措置に関して被告に注意義務違反があったとすることはできない。

(四) なお、原告らは、被告医院の二階へ至る階段が狭く、救急隊の担架が通過できなかったために原告Aの搬出、厚生中央病院への移送が遅れたとして、被告医院の設計について被告の注意義務違反を主張するが、右に判示したように、転院措置に関して被告に注意義務違反は認められないこと、担架が階段を通過できなかったことによる搬出の遅れと原告Aの子宮摘出との間に相当因果関係を認める資料がないことから、右主張は、採用することができない。

2  争点1(四)(2)について

証拠(乙五、八)によれば、弛緩出血の治療としては、子宮収縮剤の使用、子宮底部のアイスノン等での冷却、双手圧迫法等があることが認められるところ、前記第二、一9の事実によれば被告はこれらの処置を行っていること、証拠(乙一七)によれば、強圧ガーゼタンポナーゼ(強填タンポン法)も、膣壁裂傷、膣壁血腫、子宮頸部からのじわじわした出血などには効果があっても、弛緩出血やDICによる出血などに対しては無意味な処置と考える見解もあることが認められることから、被告が強圧ガーゼタンポナーゼ法を行わなかったことをもって、出血の治療に関して被告に注意義務違反があると言うことはできない。

3  争点1(四)(3)について

証拠(甲七)によれば、ヘムロンは抗プラスミン剤の一種であるトラネキサム酸の製品名であり、線溶系が亢進している異常出血に対する止血剤であって、DICによる出血には禁忌とされていることが認められるが、証拠(乙二、一四、被告本人)によると、ヘムロンの投与は、午後四時から被告がDIC発症と判断した午後五時ころまでの間に止血のためにされたものと認められ、右投与がDICの発症又はその症伏の悪化に影響したとまで認めることはできない(鑑定の結果)。

したがって、右投与が、被告の注意義務違反に当たるとすることはできないし、これとDICの発症及びそれによる子宮摘出との間に因果関係があるとすることもできない。

4  以上1ないし3において判示したところによれば、娩出後の被告の措置に注意義務違反があったとすることはできない。

五  争点1(五)(説明義務、情報提供義務)について

1  争点1(五)(1)について

前記一において判示したとおり、被告は、九月一三日の妊婦定期健診において、一週間後の胎児の死亡を予見することはできなかったのであるから、原告Aに対して、胎児死亡の可能性と対処法について特に具体的に説明をする義務があったとは認められず、胎児死亡に関する説明に関し、被告に注意義務違反があったとすることはできない。

2  争点1(五)(2)について

前記三において判示したとおり、本件ではDIC発症の可能性を具体的に示す事情があったとは認められないから、原告Aに対しDICや子宮摘出の可能性についての説明義務があったとすることはできないし、被告は、DICの発症と判断した場合には速やかに転院措置をとる態勢を整えていたものと認められるから、DIC発症の具体的な可能性のない状態において、事前に、患者に対してDICの発症の場合は被告医院において対応することができず転院が必要となる旨を説明すべき義務があったとすることもできない。

したがって、被告に死亡胎児の娩出に当たり事前の説明義務の違反があったとすることはできない。

第五結論

よって、原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六五条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡久幸治 裁判官 都築政則 裁判官 日比野幹)

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